インターネット概説 1999.5 大島正毅
インターネットとは
インターネットは言葉としてはネットワークのネットワークという意
味となります(ほかにイントラネットなどの派生語もあります)。
ネットワークとは
ではまずネットワークとは何でしょう。計算機(一般には機器)を相
互につないで互いに使いあえるようにしたものがネットワークです。初
期の計算機は、中央処理装置(CPU)の下に周辺機器(磁気ディスク装
置、プリンタなど)をつなぐのを基本としていました。同じ部屋に複数
の計算機があってもすべて別々が普通で、隣どうしにありながら、一方
でプリンタに出力したものを、目で見て人手で別の計算機に入力するな
どの今から見れば滑稽なことがしばしば行われていました(もう少しま
しな場合、一旦磁気テープに出力してデータを受け渡ししていました)。
計算機と計算機をじかにつなぐのはとても難しい技術とされていて、A
計算機とB計算機が同じ機種であれば何とかデータの受け渡しができま
したが、別の機種なら数年掛かりで接続作業を行うのが普通でした。
プロトコルについて
計算機と計算機をつなぐにあたって、お互いに約束ごとを取り決めて
おかなければなりません。まず電気信号を送るには、信号の電位が一致
(例えば5Vを"1"、0Vを"0"と約束する)していなければなりません。
電線の数や、コネクタの形状も約束しておかなければなりません。電気
信号が送れたとして、たとえば文字についての約束がいります(数字の
文字やアルファベットを8ビットで表すなど、およびそのパターンなど)。
文字の集まりとして文章のまとまり(メッセージ)を送る時、”今から
送りたいのですが”、”はいどうぞ送って下さい”、”では本文です”、”
受け取りました”、”以上で終わりです”、”了解”などと言い合って
送るのが自然ですね。このような約束ごとをプロトコルといいます。い
わば計算機同士の言葉に相当します。プロトコルは元来外交議定書の意
味ですが、現在情報処理用語としてひんぱんに用いられています。この
プロトコルの重要性が認められ、計算機同士をつなぐ技術は、プロトコ
ルの整備(基本部分が国家標準、国際標準になっています)とプロトコ
ルに合わせる技術に分化しました。その結果、計算機の接続は以前より
容易になりました。
LAN(ローカルエリアネットワーク)について
計算機と計算機や計算機と周辺機器を自由につなぐことができると、
例えば同じ場所に多数の計算機があるとき、プリンタを共用したり、ファ
イルデータを共有したりできるようになります。人から人へメッセージ
を送るのに古くから手紙が使われていますが、これを電子化したともい
えるのが電子メールです。同じ計算機の中に個人あての場所を用意して
(私書箱に似ています)、そこに書き込みと読み出しを行います。計算
機と計算機がつながれば、別の計算機にも電子メールが送れるようにな
ります。計算機同士をばらばらに個別につなぐのでは無駄が多すぎます。
これを解決するLAN という技術が発達してきました。有名なものにゼ
ロックス社ほかが開発したethernetというものがあります。ethernetは建
屋内に1本の同軸ケーブルを引き回し、必要なところで特殊な針を挿入
して信号接続点を作り、トランシーバという装置を介して機器に接続し
ます。たった1本だけのケーブルで何100台もの機器が接続できるので
す。しかも転送レートは毎秒10Mビットという(開発時には)画期的な
ものです。値段も機器1台あたり1万円程度でできますから、LAN接続
しない方がおかしいというほどポピュラーなものになってきました。計
算機のソフトもネットワーク接続することを前提に作られるようになっ
てきました。パソコンも含めて、LAN接続できるというのは今や常識と
なっています。市販の計算機同士を普通につなぐだけなら、買ってきた
その日から可能なのは現在ごく当たり前のことになっています。
ARPAネットワークの発達
米国においてARPA(後DARPA)ネットワークという実験的なネット
ワークが古くから研究されてきました。ARPAはAdvanced Research
Project Agencyの略で、高等研究計画局とも訳され、米国の軍組織の一
部で多くの研究に補助金を出しています。実質的には我国の科学技術庁
に性格が似ている部分もあります。ARPAネットワークはARPAの補助
金で作られたネットワークの意味です。当初は米国内の3つの機関(大
学と研究所)を結んで実験が行われましたが、その成功とともに次第に
大規模化しました(1990年代初頭で接続台数が20万台を越えていた)。
ここで使われ成功したプロトコルにTCP/IPと総称されるプロトコルが
あります(TCPはTransmisson Control Protocolの略、IPはInternet
Protocolの略です)。このプロトコル体系では、世界中の計算機に番号
(IPアドレスという)をふり、その番号を頼りに、計算機をこえて通信
できるようになっています。このようなIPプロトコルで通信できること
をIP通信可能(IP reachable)といいます。TCP/IPを全面的に採用した
計算機のOS(オペレーティングシステム、計算機全体のソフト的な制
御システム)に採用したものにUNIXがあります。UNIXは米国ベル研究
所が考案したものですが、大学・研究機関を中心に広く普及しました。
UNIXではethernetを用いるLANもサポートしており、ユーザはARPAネッ
トワーク、LANを一体としてプロトコルを介してやりとりできるように
なりました。UNIXを用いる計算機とARPAネットワークの接続は一番ポ
ピュラーな組み合わせといえます。ARPAネットワークと技術的にはほ
ぼ同様のNSF(National Science Foundation全米科学財団)ネットワーク
(全米の高速計算機をネットワーク化したもの)というものがその後生
れました。
ローコストのネットワーク
ARPAネットワークは専用回線を用いて2つの地点を結ぶのを基本と
します。専用回線は高額な維持費を必要とします。一方電話は、世界的
規模で設置されており任意の2点間を専用回線に比べはるかにローコス
トで接続することができます。UNIXの下で動作するuucp(unix to unix
copyの略)というプロトコルが開発されました。uucpは巧妙にできてお
り、遠く離れた地点を、2点間の通信の積み重ね(バケツリレーと表現
されることがあります)で結ぶことができます。電話回線を通して計算
機を結ぶにはモデムがあればいいのですが、これは専用回線を用いるた
めの装置より経済的です。このようにして電話回線による世界的規模の
ネットワークが大学、研究機関を中心に発達しました。このようなネッ
トワークにusenet、bitnet、csnetなどがあります。我国では3大学を結ん
で始められたjunetが大学、研究機関を中心に全国規模で発展しました。
パソコン通信
パソコン通信は中心の計算機とユーザのパソコンを電話回線で結んだ
ものです。商業的な大規模なパソコン通信が発達し多くのユーザを集め
ました。そこでも電子メール機能がありますが、技術的には初期のもの
からあまり変わっていません。同じシステム内での通信はできますが、
他のシステムとは基本的にやり取りできません。現在はインターネット
とも接続されているのが普通です。
大規模ネットワークの形成
米国内を中心に発達したARPAネットワークはNSFとも結びつくよう
になり、また電話回線を用いるネットワークとも結びついて世界規模の
ものとなりました。さらに、パソコン通信とも結びついて、ネットワー
クのネットワークの様相が生れました。こうして生れたネットワークを
一般名詞のinternetworkと区別してthe internetworkと呼ぶことがありま
す。現在では一般名詞のインターネットは固有名詞のものと事実上同一
です。
多彩なプロトコルの発達
計算機同士を結んでできることには古くからファイルを送受するftpと
いうものがあります。また、別の計算機を自分の計算機から自由に使え
るtelnetというものもあります。電子メールを送受するsmtpというプロ
トコルやネットワークニュース(多数のニュースグループによって話題
を分けて、ネットワーク上であらゆる話題について意見を交換するシス
テム)を扱うnntpというプロトコルもあります。その後、ネットワーク
を越えて情報検索できるarchieというものもできました。さらに、文字
データだけでなく、画像や音声も扱え、あるデータから他のデータを自
由に引用してユーザがいながらにして関連する情報を世界中アクセスで
きるWWW(World Wide Webの略)を扱うプロトコルおよびそれを扱
うソフトも発達しました。インターネットに接続し、共通のプロトコル
を用いれば世界中のどことも互のいる場所を意識せず自由にやりとりが
できます。すぐ隣の机にある計算機とも地球の裏側にある計算機とも何
らやり方は変りません。
インターネットの商業利用
インターネットは発展の初期には大学、研究機関を結んだ実験的なも
のであったため、その資金は研究費からまかなわれ、通信方式の研究と
いう性格でした。従ってこのわく(AUP acceptable use policy許容可能
な使用方針 といいます)をこえる利用はできませんでした。インター
ネットの技術方針を審議する団体は存在しますが、全体を管理する団体
は存在しません。ある意味で世界的民主主義(無政府主義)が成立して
います。インターネットを利用するには当初から接続された大学、研究
機関のメンバー等であることが必要でしたが、パソコン通信とインター
ネットとの接続をAUPの範囲で認められるようになることにより、一
般の人もインターネットの機能が利用できるようになりました。また、
ユーザに対しインターネット接続機能を対価を得て提供するインターネッ
トサービスプロバイダ(ISPあるいはプロバイダ)が現れ、多数の業者
が覇を競うようになりました。現在、ある組織体で構成しているLANを
インターネットにつなぐには、別のすでにインターネットと接続されて
いるシステムにつなぐか、インターネットサービスプロバイダと専用回
線でつなぐのが普通のやり方です。これもだんだん容易かつ経済的にで
きるようになってきました。
ネットワークの大衆化と普及の時代へ
パソコンが日進月歩で高性能化・経済化し当初は科学技術者や大規模
企業のものであった計算機はごく普通の人の便利な道具となってきまし
た。今日のパソコンはインターネット機能を標準で備え、インターネッ
トサービスプロバイダも日々に安価に機能を提供するようになりました。
情報は一握りのマスコミが大衆に一方的に提供する時代からひとりひと
りが情報の発信者にもなる時代が来つつあります。企業等の組織体が全
国規模あるいは世界規模のネットワークを構成するのは大変な努力と資
金を必要としましたが、今では個人レベルでも極めて容易に世界規模の
接続ができます。在宅勤務という言葉が喧伝された初期には技術的・経
済的裏づけを欠いていましたが、現在では十分可能になりつつあります。
オンラインショッピング、電子マネーという言葉は現在まだ上滑りして
いますが、やがては大きな実体を持つにいたることでしょう。インター
ネットのユーザは現在2,000万人程度いると推定されており、その規模
は爆発的に拡大しています。インターネットも母体となったARPAネッ
トワークから様相を変えサービスプロバイダ同士が高速大容量の回線で
互いを結び日に日に発展しています。従来の電話網を中心とする通信業
者もこれに対応しつつあります。米国、日本をはじめ国家規模でインター
ネットを奨励しています。
紙の文明から電子ネットワークの文明へ
古代マラトンの戦いに勝ったアテネ軍の一兵士は勝利を伝えるため約
40kmを駈けぬいて一言伝えて事切れたと伝えられています。このよう
に情報の伝達は命がけでした。日本では、「敵艦見ゆ」の情報で日本海
海戦に大勝利をおさめた歴史もあります。グーテンベルグの活字印刷機
の発明は宗教改革に大きな影響を与えたということです。このように情
報と社会のあり方とは大きな関係がありますが、いまだに大きな影響が
あるのは紙の文化です。現在多くの人は会社員あるいは組織の一員とし
て、決まった時間に決まった場所に出て仕事をしています。この中で情
報処理の中心をしめているのは種々の書類をはじめとする紙です。計算
機が多く使われるようになったといってもまだまだ紙の処理を電子化し
ただけのものにとどまっています。いつでもでこでも誰とでも情報のや
りとりのできるネットワークの時代が近づきつつあります。これまでの
紙を中心とする文明はやがて電子ネットワークの文明へ変っていくこと
でしょう。
現代社会は1000年規模の大きな変革時期にさしかかっていると考え
られます。これを標語的に表すと:
・1箇所定住(農耕)文化から流動化の社会へ
・紙の文化からネットワークの社会へ
・マスプロダクションから手作りへ
・ロゴスからパトスへ
・1対多から多対多へ
・トップダウン指向からボトムアップ指向へ
・givenからcreateへ
・社会のための個人から個人のための社会へ
来るべき社会の全貌はまだ誰もとらえきっていないと思われますが、
これらはその一部を象徴していると考えられます。電子ネットワークの
文明は無条件に肯定するべきものでもなく、また自然に形成されるもの
でもないでしょう。電子ネットワークの文明は冷たい管理社会ではなく
暖かい個性重視のものを目指すべきでしょう。